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概要

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89 あの友もこの友もみんな死んだの炎は山全体を明るく照らした。やっと夜明けを迎え、炊き出しのおむすびと小さなおいも二、三個が配られた。六時前であったろうか、それぞれ別れを告げて帰路についた。昨日の無惨な姿の兵隊さん達を見て、紙屋町あたりがひどくやられていることは確かであった。そこが中心地点であることは知る由もなく、相生橋方面に、道なき道を、どこをどう歩いたのか、黒こげの死体を避けながら、まだ燃えた残骸から煙が立ちこめている中を西に進んだ。黒こげの母親を「母ちゃん」と泣きながらゆさぶっている幼児の姿もあり、一瞬息を呑んだ。家が八丁堀と聞いていた瀬戸さんとは、帰り道、どのあたりでどういう別れ方をしたのか全く思い出せない。紙屋町近くになると、黒こげ死体がゴロゴロと数を増し、異状な雰囲気である。「水―水―」、死んでいるかに見える黒こげの物体が口を開き、何度か息を殺しながら、まだ熱い地面をはだしで踏み続け、焼野原と化した市内をなかば過ぎた。天満町の橋は落ちてなくなり、仕方なく死体の浮かぶ水面を見ながら鉄橋を渡った。 やっと己斐に着くと、幸いに貨物専用の暗い電車が発車寸前であった。車窓から、救援、救護作業の人達を積んだ車が次々と東に向かっているのが見えた。いつもより長時間に思えた廿日市駅にやっと着いた。家族の者は私の姿を見るなり、まるで幽霊でも帰って来たかの如く驚き、しばし声にならなかった。父は私と入れ替わりに、リュックサックにやけどの薬、骨拾い道具まで詰めて出掛けたということであった。その後、下痢症状が続き、全身がだるい無気力な日々が続いたが、母の栄養食が功を奏したのか、三か月が過ぎる頃には、なんとか元気を取り戻すことができた。しかし数年後、原爆診断において白血球に異常ありと診断を受けた。以来寝込む程でもなかったが、内臓の病気を一巡した。一度は大病の試練も受けた。今もって病院と縁の切れない身体である。 この夏、一人娘が被爆時の私の年令に達した。やっと生きることの意味の分かりかけてきた娘を見るにつけ、あのいたいけな若い命がなぜこの世を去らなければならなかったのであろうかと、やりきれない憤りを