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概要

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106嗚呼原爆大倉 靜子 不思議なことがあった。八月六日の夜、二時か三時頃前の庭に哲朗が、「お母さんただ今帰りました」と、戦斗帽にゲートルを巻いて挙手の礼で立っていました。 私はびっくりして起き、「哲朗ちゃんあんたケガもしないで帰ってきたんね。よかった、よかった」とあちらこちら探したが、何処にも姿はなかった。家に帰りたい一心で魂が帰ったのだろう。 八月六日、朝食を済ませ、裏庭に出た。空を見上げて今日も暑くなりそうとつぶやいて、引きかえそうとした時、ドーンと大層大きな音が間近に聞こえた。形容が悪い、そんな生易しい音ではなく、ずい分大きな音だった。私はすぐに感じた。当時の刈田村(勝田)に飛行場を造る予定があり、時々、夫が奉仕作業に出ていたのでそこが爆撃されたと直感した。その内に、時は過ぎ、午後もずい分まわってから、「広島が大事だそうな」と一報が入り、警防団の夫はすぐ皆さんと共に、トラックで出発した。 私達には県商四年の長男昭三と、広島二中の次男哲朗が広島に居住しており、不安でいっぱいになった。夫はまず次男哲朗の下宿先である榎町をたずねた。家はすでに丸焼けで焼け残りの板に、どこそこに行くと書かれていた由。探しに行ったが、子供は朝出かけたきり、帰らないとの事。後から聞くところでは、二中一年生全員三百名が、水主町県庁前の渡り詰めに整列して、これから作業について訓辞を受けていた時、ドカーンとやられ、全員川に飛びこみ、学徒で川が埋まり、水が見えなくなったと聞く。夫はその日は帰宅せず、翌日の夕方帰宅した。聞きしに勝る大事も大事。そして翌日から子供探しの地獄絵さながらの光景の中での日々が始まった。県商四年の昭三は千田町に下宿して大洲の工場に働きに出ていた。千田町の下宿は焼