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概要

gakuto

109 「池に飛び込む」るで幽霊、級友の顔は判別できなかった。私も無意識に、人の後をついていくと、防火用のため池に、たくさんの人々が入っている。身体が焼けつくように熱く、ただ夢中で、そのため池に飛び込んだ。コケでぬるっとすべりそうになったあの時の気持ちの悪かったこと。水につかり、身体の熱さがさめないうちに、ふと我に返ると、周りは火の海になっていた。再びよろよろと、人の流れにのって、鶴見橋に行った。その途中、命からがら逃げる私に、すがりつくように、「私も連れて逃げて」「助けて」と、友が手を差しのべてくるが、私はなすすべもなかった。まさに地獄そのものだった。この光景は、そして友のあの叫び声は、今でも、私の耳に残り、生々しく記憶されている。どんなにか苦しかったことだろう。川の水は深かった。その川へ橋の上からも、岸からも、ドブンドブンと飛び込み、川はその人たちを吸い込むかのように、どんどん流していった。私もため池に入っていなかったら、熱さに耐えられず、川に飛び込んでいたと思う。 焼けただれた身体に、太陽は容赦なく照りつけ、身は焼け付き、のどは渇き、一人で、どこに逃げたら良いのか、ただ生きたいのみで、ふらふらと、幽霊の行列に仲間入りし、やっとの思いで仁保小学校にたどり着いた。学校の教室の板の間に、ごろりと寝たまま、トイレにも行けない。アメリカの偵察機が金属音をたてて低飛行をすれば、一目散に避難できる人がいても、私は逃げることも動くこともできなかった。食べる気力さえ失い、ただ〝死?の訪れを待ちながら、眠り続けた。夕暮れ時、軍属の人たちの、軍歌の合唱が、どこからともなく、もの悲しく聞こえていた。 三日後に母と再会 それから三日後、私は、母に見つけてもらい、高田郡向原町に疎開した。右半身大火傷だったが、幸いなことに、顔は無事だった。これは、私の前に校長先生がいらっしゃり、私が下を向いていたお陰であった。その私の恩人の校長先生は亡くなられた。私の状態はと言えば、火傷の手当てをしなかったため、皮膚はむけてぶら下がり、身体全体がふくれ上がり、髪は抜