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概要

gakuto

110け、親が私を見てもわからないほどの変わり方だった。右手右足は、身をそいだようになり、その上を、うみが固まって、かさぶたができ、その中には、うじ虫がうじょうじょわいていた。つける薬も無く、何度か危篤状態に陥ったが、親の懸命の看護のお陰で、一命をとりとめた。 昭和二十一年に入って、出席しないと一年留年、という学校からの通知を受け取り、足をひきずって、学校に再び出席しはじめた。私の組の人は、三名しか生き残っていないこと、私はその中の一人であることを知り、何とも言えない複雑な気持ちだった。助けを求めて死んでいった友の分まで長生きをしよう、決していえることの無い痛みを忘れず、核廃絶を粘り強く訴えてゆこう、と決意を新たにした。どうか、今の自由と平和な毎日がいつまでも続くようにと祈らないではいられない。死者の山一年生は初めての建物疎開大橋 和子 この日、広島女子商の動員学徒たちは、K・Mさんら約六百人が広島貯金局や東洋工業など工場内の勤労奉仕に、そして一、二年生五百人が鶴見橋付近の建物疎開作業に出動した。 一年生にとっては、この日が初めての建物疎開作業だった。学徒報国隊の名札をつけ、自分たちもお国のために役に立つのがうれしくて、当時女子商一年の大橋和子さんは、前の晩枕元から名札を取り出してながめたりした。 朝七時半に学校に集まり、平塚町で木切れをひろい集める作業を始めたのが八時だった。そして、被爆。 大橋さんは、そのあと何度となく気を失って倒れた。気がついて迫る火の中を必死で逃げる途中、前を行くひとりの母親に背負われた赤ちゃんの首がスパッ