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gakuto
118て、道路は足の踏み場もない状態であった。素足で歩くのは、大変危険だと、咄嗟に考えた。友人のほとんどは、上履を飛ばされて素足のままになったので、私は急いで押しつぶされた構内の下駄箱を探し、持てるだけの靴を抱えて戻って来た。こんな時に落ち着いていられる自分が、後で考えると不思議でならなかった。私は幸いにも、かすり傷一つ負っていなかった。 かつて、呉市に動員で行っていた時、昼夜を分かたずB29重爆撃機の襲来を受け、空襲警報が鳴る度に、退避するため素早く身をかわして防空壕に走り込んだ。また、ある時は、避難が間に合わず、木造バラックの寮に機銃掃射を射ち込まれ、階段下にころげ込みながら、危く命拾いした経験もあった。生死の分れ目を幾度となくくぐり抜けて来た強運からか、その時も私は傷を負わなかった。 その日はいつものように、私と並んで十分前まで雑談した親友の姿は遂に見えず、後になって校舎の下敷きになったまま、亡くなっていたことが分かった。運命の分かれ目は、まさに紙一重の差であることを身をもって知った。 混乱の中で、第一の避難所である泉邸(旧浅野藩別邸・縮景園)に、ひとまず逃げることにして、居合わせた学友と一緒に歩き出そうとした時、崩れた校舎の下から「お母さーん、助けてえーッ」という友人らしい叫び声が聞こえた。驚いてかけ寄ると、倒れた壁の下に誰か下敷きになっていた。それも一人ではない様子で、姿は見えないが多勢のうめき声も聞こえてきた。「何とかしなければ」と、その場にいた数人で力を合わせ、壁を持ち上げようとしたが、女の力ではビクともしない。「頑張ってね」と口々に声を掛けて励ましてはみたが、手のほどこしようもなく、私たちは焦るばかりであった。むなしく時が経っていった。途方に暮れているとき、頭から血を流し大怪我をされた松本卓夫院長先生が、通りかかられ、「あなたたちは無事でよかった。もうそこまで火が迫っているから、すぐ牛田山に逃げなさい。いいですね」と半ば叱りつけるようにおっしゃった。「もはやこれまで……」と思った私たちは、何度も後を振り返り「ごめんなさ