ブックタイトルgakuto
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129 廊下の曲がり角まで行った時 川辺の家がようやく鎮火したのはもう夕方近くでしたが、川沿いに太田川上流の友達の家まで歩きました。途中、黒焦げに燃えた家の入口で、半身が家の下敷きとなったまま、家と同じ真っ黒に焼けて大地をつかむようにうつ伏せのまま死んでいる人を見ました。 友達の家に着くと、白い割烹着で避難して来る人のためにおにぎりを作っておられるお母さんに迎えられました。ラッキョウの入ったおにぎりを頂いて、そのおいしかったことは忘れられません。入浴もさせていただき、友達の服を借りて着ましたが、もうそのまま動きたくないほど疲れ切っていましたが、顔の傷をそのままにしておくわけにいかないからと、近くの農家に疎開しておられる女医さんの所へ連れて行っていただきました。朝から救護所で働きづめの先生も歩くのがやっとで疲れが見えましたが、私を見ると縫合しなくてはとのことでした。でも、麻酔はありませんし、消毒薬も焼酎でした。その痛さには耐えるしかありませんでした。 当時、宮島線の地御前に疎開し二階住いをしていた両親が心配していると思いましたが、連絡の方法がなく、四日目だったと思いますが、道順を教えていただいて地御前目指して出発いたしました。途中、竹薮の中で蚊帳を吊って家の代わりにしていた人があったり、何度か飛行機がビラをまいていったりしました。ビラには戦争が終わったようなことが書いてありましたが、すぐには信じる気にもなりませんでした。畑の中を歩いて線路に沿って、横川に着き、また歩いてやっと己斐に着き、宮島線で電車に乗ることができました。 家に着いたら階下のおばさんが大きな声で、「お嬢ちゃんが帰られましたよ!」と、二階に向かって叫ぶように声を掛けました。ちょうどお昼食時でしたので、両親は二人で泣きながら配給のお酒を飲んでいたところでした。私が生きて帰ったことで、今度はうれし泣きの両親でした。父は体格が悪く、兵隊には行きませんでしたが、軍属として宇品港で勤務していましたので、避難して来る人々の様子を見て、私のことを心配し、翌日から毎日、心当りの所へ行って捜し歩い