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概要

gakuto

134です。 私は五十七年間、思い出したくもなく、人に話すことも辛過ぎて決断はできませんでした。でも、先日遠縁の方や新婦人の会の方々から被爆の生き証人として伝えていくことの大切さを知らされ、亡くなった多くの級友からも天の声が聞こえてくるような気がして、自分の体験記が何らかの役に立てばと思い立ちました。そう決心するまでには本当に長い年月が必要でした。この世に核兵器は一切必要ありませんが、今の世界の状況を見ると不安でなりません。 これだけのことを書き留めるだけでも、当時の状況を思い出し泣いては書き、泣いては書き、やっとまとめました。辛い作業でした。(平成十三年他誌掲載)……七十三歳(旧姓三好)高女五十六回会友、広島県廿日市市在住ただ一言「お母さん」小田 直子 昭和二十年八月六日、その日は暑く、朝から上天気で雲一つない日本晴れであった。 その頃、十三歳で広島女学院高等女学校の二年生だった私は、雑魚場町に家屋疎開の跡片付けの作業に行かなければならなかった。「おはよう」「おはよう」。校庭に集まった先生と生徒。これが最期の朝として迎えなければならないと、誰が想像し得ただろう。「花も蕾の若桜」と元気に歌いながら、雑魚場町に向かって学校を出発したのが午前七時半。着いたのは八時過ぎであっただろうか。いつも携帯していた救援袋を下に置いて、仕事に立った時である。誰かの「B29よ」という叫び声が終るか終らないかの中に、一瞬閃光がきらめいて、私は意識を失った。