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概要

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1太田川に消えた太田川に消えた川井ヨリコ 肇は、当時広島県立広島工業学校機械科の一年生で、十四歳でした。七人きょうだいの長男です。上に可部の女学校にいっていた姉がひとりいます。肇は丈夫な赤ん坊でした。主人は戦死したんです。七人目が生まれて六十日ぐらいに召集され、南方へ送られました。海軍でした。長男が死ぬとは想わなかったでしょうに。原爆の後に、主人の戦死の公報が来たんですよ。家は農業をしていました。主人がもう戦争に出ていましたので、県工の受検には私が連れて行きました。受かって、私も大変うれしかったです。 お国のためにも、お役にたつことが出来ると思っていました。 受け持ちの先生は―。覚えていたのですが、出てきません。 あの子はずっと日記を付けていて、あったのですが、昭和十九年と二十年に太田川に水が出て、家が流されて、記録になるものは何も残っていないんです。肇はよく大きなラッパを吹いていましたが、これも流れてしまいました。形見に思っていましたのに。 その日(八月六日)の朝、肇は疎開の手伝いだといって県工へ行きました。十二時までには帰してもらえるといっておりましたが、お弁当を持たせてやりました。「母さん、行って帰ります」 と元気にいったのが、今でも忘れられません。それが最後です。その日も、近所の人たちに笑って挨拶をして行ったと、未だにいわれます。 (原爆の後)昼になっても帰って来ない肇が気になって、国道の今井病院まで出ると、そこには髪がなくなって、着物がボロボロになった人がたくさん手当てを受けていました。親思い、きょうだい思いの子ですから、帰らないはずはない、どんなに焼けていても