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概要

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155 熱い、体が焼ける「明日は学校へ行かにゃならん、荷物やリュックサック、靴などに名前が書いてあるか」 早く全快して、すぐ高田郡の高南村の親類へ行くのだから、しっかりしておれよ、と祖母がはげます。しかし、本人は意識もうろうとしている様子である。「田舎の高橋君はどうしたかの?」「高橋よーい、高橋よーい」 高橋君は、高南村の高田鶴酒造業で有名な高橋宗貫氏の一人息子である。高橋君も原爆症で最期をとぐ。実父高橋宗貫君は、筆者の幼少時代の友人である。去る四月急逝す。 八月八日、九日となるにつれて、ほとんど昏睡状態を続け、九日にはもう、本人も死の予感があったものか、「もうわしゃ駄目じゃ、死ぬるんだろうて」と云って、物も言わなくなった。軍医は注射をしてくれるが、なんの変化もない。火傷は少しカサカサと乾いたようである。 八月十日の夜になって急に容体が変化し、軍医も度々カンフル食塩注射をして下さった。そのたびに「いたいのー」とかすかに声を出すのみであった。 夜は燈火管制で、広い部屋に小さいローソクの火が一個あるのみ。間もなく空襲警報発令。真暗闇の中で容体は次第に悪化し、呼吸も困難。弘明や、弘明やと呼べども、もう返事もしない。時々「アーン」とかすかに声に出すのみ。祖母は抱き起こすようにして、いま永眠せんとする初孫に向かい、「弘明やー。おばあちゃんと云って頂戴やー」と耳の傍で叫べば、ごくかすかな声で「おばあちゃん」と返事をする。 冷たい水で口をうるおす。呼吸次第に困難になり、手先、足先などから次第に冷たくなり、遂に永眠した。大した苦しみもなく、自然と呼気を引き取る。 隣り近所に居並ぶ付添の人々も口をそろえて、大変に惜しい子供さんを失われたと、看護婦、軍医の人まで惜しんで下さった。故堀弘明の父堀  輝人(一九九六年八月十五日没)