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157 遺骨を蚊帳の中にを離したことがない。毎日の出勤はもちろん、はるばる海を渡って欧米視察にも行をともにした。あきらめの悪い親馬鹿、女々しい男と人が云うかも知れぬ。笑うかもしれぬ。しかし、そんなことは一向に気にもかからない。そうしなければ気が済まぬのである。 私たちは、あの原爆で、一家を、そしてすべての持ち物を焼き棄てた。当時は飯を食う茶碗も、ハシもなかったものだ。あの時はそんなものは一切意に解していなかった。それはあの戦で、日本国民は一人残らず本当に討死するのだと信じていたからだ。 ところが、世の中がだんだん落ち着いて来て、人の生活も、また体裁も、すべて昔のようになってくると、焼いたものが惜しくなってくる。男の私でさえさようなら、女である妻は着物も帯もなにもかも一応欲しくなるのは、あたり前である。一物も焼かないで助かった人が、私の周囲にはずいぶん多く、昔ながらの生活をしているのだから、不平もグチも起こるのが人情だ。しかしこの妻も、一度、ああ信男が死んだのだっけと気がつくと、なんにも欲しがらない。あるもので満足している。この気持は到底、体験のある人でなければ分かるものじゃあるまい。 信男の生まれたのは、昭和八年一月十七日、雪の降っていた日だった。生まれながらに肥えた、元気な児だった。われわれは時々家族連中でよく外食した。冬は、信男はまだ赤ん坊だったが、マスクをかけさせて、妻がオンブしたものだ。よく友人に、赤ん坊がマスクして、と笑われたものだ。赤ん坊時代からサシミを食べさしたから、サシミは大好きだった。這い這いの頃、家族の食卓の上を、手と身体でかきまぜて、たまったものじゃなかったので、子供用のトウイスを買って来て、一人前に食卓につけたものだ。その格好は今も目にチラツク。 どうしたものか、小さい時から、あらゆる人に好かれた。また人オジなんかちっともしない。言葉もハッキリ返事したものだ。あの児が、隣り近所のわが家の外交使節で、隣り同士の交際も、親しみも一段とましたものだ。四歳ぐらいの時、私の家は工場に勤める関係上、早起きするので、親とともに早く食事してしま