ブックタイトルgakuto
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gakuto
158うと、勤務の関係で遅く出勤する私の友人の家に行って、またその寝床にもぐり込み、一寝入りして、その家で洋食風の朝食をその家族とともにして帰るという風で、その友人には子供がないので、どっちの子かわからない始末だった。 八つぐらいの時、親戚の娘(十八歳ぐらい)が遊びに来て、帰る時に、妻が土産にバナナを持たせて帰そうと思い、八百屋に信男をつけてやると、娘が店のものの秤るバナナを黙って見ているのに、これはいたんでいる、あれは小さい、と一々指図していいものと取り替えさせ、立派なものだけをお土産にさしたそうで、アトで娘が驚いて妻に話したと云う。それほど小さい時から、シッカリしたものだった。 道で私の友人に会っても、常に礼儀正しく帽子を脱いでお辞儀する。ウッカリしていてビックリさせられたと、よく友人に云われたものだ。前述のように、私は工場勤めで、朝早くから出て夜遅く帰るので、居をともにすることが少ないものだから、私の休みの時は、信男の友人が誘いに来ても一向に出ないで、朝から私の身から離れない。それだけ可愛くなって来て、私も、出かける時、信男がそばにいないと淋しくてならなかった。よく、楽々園や、海水浴、町の散歩、コーヒー店と行ったものだ。ロバにも、子供の自転車にも、ボートにも乗せたものだ。 昭和二十年の一月一日、妻が急性肺炎で寝ており、私は工場の仕事で出かけて留守の間、夜もすがら、だるがる妻の足や腰を、もんでくれたものだ、と妻は今でも話している。 信男は原爆を学校で被り、気を失うたそうだ。やがて気を取り返し、つぶれた校舎から這い出すと、もう一面の火で、辛うじて火を逃れ、方々をサスライ、やがて妻と会い、私がケガを養うていた西高屋村の一軒にやって来た。それが八月十日頃で、それから一週間ぐらいは元気だったが、やがて微熱が出はじめた。はじめは、極度の心身の疲労からだろうと思って安静に寝かせ、食事も注意した。しかしダンダン熱が上昇し、吐気を伴う。医師に相談したが、医師もはじめ軽く見ていた。