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169 虐殺の責任を問う 平和公園の本川土手に広島二中の碑がある。一年生三百二十二名の碑である。市内の建物をこわす作業で男女中学生、地方義勇隊のほか軍隊を合わせて延べ三十万人が動員されたという。私たち二年生と一年生は勤労作業を一日交替でしていた。私たちは前日、建物破壊作業に従事していたし、翌日も建物破壊作業をする筈だった。一年生は全員死んだ。一日の差で私たちは助かった。ただ運が良かったと言えるものではない。どう説明したらよいのか、どうしようもない悲しみと怒りがこみあげてくる。 人間一人を殺せば殺人罪、多数の人を殺せば英雄かと言われるが。一瞬のうちに七万戸、三十万市民が被災、死者十三万とも十七万ともいわれているこの大虐殺。その責任は何も問われないのか。平和、平和と口にするが、その責任を問わずして真の平和は絶対に来ないと思う。 「この病院の約五八〇メートル上空で人類に対する最初の原子爆弾が炸裂した。テニヤン島から飛来した米空軍機B-二九「エノラ・ゲイ号」が高度約八五〇〇メートルから投下したウラニウム二三五爆弾であった。この一帯の爆発時の地上温度は約六〇〇〇度となり、高熱と爆風、放射線によってほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われた。時に一九四五(昭和二十)年八月六日午前八時十五分であった」爆心地、島病院の傍に立っている案内板である。エノラ・ゲイの名前は永遠に私の脳裏から消え去ることはない。罪の無い市民の生命を瞬時にして奪ったこの大虐殺。再度、問いたい。その責任は何も問われないのか。この地獄絵図を、日本人の一人として私は未来永劫に忘れることは出来ない。