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173 非情な逃避行非情な逃避行新庄 晶 「誰か、誰か助けて下さい。子供が、子供が。誰か手伝って下さい」瓦屋根ごと棟が崩れ落ち、体そのものは外に出ているのに、太い梁に片手を挟まれた三、四歳の男の子。もう泣き叫ぶことも忘れたかのように、呆然とただ目をきょろきょろさせているだけ。その側に立った若いお母さんが、通りすがりの人に必死で哀願している。猛火はその二、三軒先の家まで迫ってきている。しかし、その子を助けるべく、誰も足を停めようとする者はいなかった。友達も、私も。 広島駅の南表、すぐ東側にあった荒神市場の入口である。その時の原情景を辿ってみても、不思議でならない。あの時からもう四十六年にもなろうとしているのに、その光景は実に鮮明に思い出される。いや、原爆・平和という言葉を聞くたびに、その情景が頭の一隅をよぎる。しかし、その日の自分の心理を説明することはどうしてもできない。私は人一倍人情に厚いと自惚れているし、平和な現在の世の中にあって、これと類似の情景を目撃したら、間違いなく、我が身を挺して子供を救うであろうと思っている。 けれども、その時は、原爆投下直後の異常事態にあって、みんな逃げるのに精いっぱいであったし、誰も手を貸そうとする者はいなかった。私もその時、暫くも足を停めることなく、現場を通り過ぎ、帰路を急いだ。 あの日、八月六日は、サツマ芋が植えてある東練兵場に集合するため、吉島の家を朝六時過ぎに出発、歩き詰めに歩いて到着、八時、先生の号令のもと、私たち生徒は二列横隊に整列していた。当時、私たち中学生は、バスや電車に乗ることは許されず、徒歩で通学していたし、自転車通学も許可してもらえなかった。 私たち二年生は当時、隔日に作業が命じられており、土橋町の建物疎開の跡片付け、兵器廠・被服廠の