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概要

gakuto

181 生きていたんだ 島の医院で看護婦に硼酸水を塗ってもらい、目と鼻と口だけ残して包帯でぐるぐる巻きにしたまま家に帰った。想えばこれが大失敗で、後々まで苦しむ結果となった。「お母ちゃんただいま」母は腰を抜かしたようによろよろとへたり込んでしまった。 二日後、目が見えない程に腫れあがり包帯はジュクジュクであった。母は僕を乳母車に乗せて再び医院に行き包帯を取ったとき、絶句したまま口をきかなかった。「鏡を見せて下さい」「鏡が割れて今ここにないんよ」看護婦も驚いて叫んだ。以後、わが家から鏡が無くなった。父が軍艦から火傷の軟膏を貰ってきて塗ってくれたが、膿が出て役に立たなかった。人の噂で良いと言うことは総てやり、中でもジャガ芋を摺って付けると効くということで、母は来る日も来る日も摺っては付けてくれたが、これが一番良かった。二十分位でジャガ芋が熱で乾き、石膏のように固まり澱粉がキラキラ耀くようになって「ポッコリ」と剥ぐと、そのまま裏側に全部膿を吸い取って顔からはがれる。痛い。臭い。また塗る。これの繰り返しであった。 母は枕もとに座り、団扇であおぎながら「痛かろう。可哀想に」と呟きながら、毎日、毎日、塗っては剥ぎ、塗っては剥いでくれた。 「生きていてもあの顔じゃねー」と言う隣近所の声も聞こえる。「母ちゃん、僕、もう死んでもいい」絶望して泣きながら叫ぶ。涙が傷にしみて一層痛い。母も泣きながら「たとえ傷跡が残っても死んでは駄目よ」と叱る。 以後、芸陽健児が負けてなるかと、黙して苦痛に耐えたが、涙が溢れて止まらなかった。その後、母の執念の看護で奇跡的に傷跡が解らない程に治癒し、あの憎むべき原爆の爪跡は左肱のケロイドのみとなったが、結局、床を離れたのは十月過ぎであった。これは母の原爆との戦いであり、母の偉大な愛と恩である。 あの日の地獄図はキノコ雲とともに残酷なまでに目に焼付いて離れない。8・6にはただ一人で静かに祈り「原爆許すまじ」の歌を心の中で歌う。