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182回想・運命のいたずら和木 主彦 ご存知のように広島に原爆が落とされたのは昭和二十年八月六日、月曜日の朝八時十五分でした。 当時私は広島県立広島工業学校一年生、小学校を終えて間もない少年でした。その頃学校では殆ど授業はなく、私達一年生は学徒動員令によって市内中心部の疎開家屋を撤去する作業の毎日でした。 今こうして体験記を書くにあたって、半世紀を経た今も、八月六日の長い一日あの悲惨な情景は鮮明に蘇ってくるが、詳細なことになると覚束ない点も多々ある。だが昔の日記や投稿原稿をもう一度見なおして私の感性で受け止めた体験を記して、不幸にも原爆の犠牲となった同級生の御霊に捧げたいと思う。 原爆投下があった八月六日は月曜日、真夏の太陽がジリジリと照りつける朝だった。 学徒動員の場所に八時到着の予定で国鉄芸備線に乗った。列車の中は蒸し風呂のように暑かった。私は足に巻いたゲートルを解き防空頭巾を網棚に上げて一息ついた頃、「和木よー和木くん」と呼ぶ声に振り向くと樽佐次郎君であった。この出会いが私の運命を決める事になった。数日後までは全く想像もしていなかった。 この日、樽佐次郎君は用あって千田町の学校に八時までに登校し、その後学徒動員の場所に行く予定だという。一方、私は学徒動員の場所に直行するつもりだった。 列車に揺られながら樽佐君が私に「和木よ、学校経由で学徒動員に行こうよ! 市内電車許可証は学校に返納しろよ、足の怪我も治った事だし、今日返納しに行こう!」と声をかけてくれた。彼の提案を渋々受け入れて学校経由で学徒動員の場所に行く事にした。つまり八月六日のそれからは、樽佐と和木の二人が一緒に行動することになった。