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概要

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185 回想・運命のいたずらた。三人は客室に入りもせず、デッキに立ちんぼしてSLの煤煙も気にせず、列車の揺れに身を任せながら帰って来た。馬場くん、福岡くんの二人は別れを告げて降りていった。(狩留家駅前の大騒ぎ) 私の降りる狩留家駅まで所要時間はいつもなら、後十分位だが、今日は負傷者も多いせいか停車時間も長い。私は列車のデッキに腰をかけて、涼みながら帰った。 駅に降り立つと数人の知り合いが駆け寄ってきた。そして私の頭のテッペンから足まで確かめる様に見つめながら、「あんたは死んだらしいと言う話を聞いたんだよ」と。更に念入りな事にムシロ(藁で編んだ敷物)を敷いた大八車が用意してあったのには、こちらの方が戸惑ったのは言うまでもない。「この大八車に乗りなさい。折角あんたの為に持って来たんだから!」とおっしゃる。私は断りきれず、大八に乗って帰ることにした。帰りながら迎えに来てくれた人達の話を聞くうちに、誤解の原因が私にもあることが分かり、謝った。 「私が死んだはずだ」と思わした人は県工同級生の両親だった。だから学徒動員の場所が中島町の元安橋付近であることを知らされていたに違いない。そして中島町周辺の被災状況を避難してくる人々などから情報を収集され、悲観的な予測結果になったのだろう。その両親は息子さんの生死を予測されたのであって、私の生死を予測されたのではなかった。事実同級生が他にもいたが、中島町付近から帰った同級生は一人もいなかった。そこに私がヒョコヒョコと帰ってきたから、大騒ぎになったのだろう。 私はその朝、汽車の中で急遽予定を変更して学徒動員先の中島には行かず、千田町の県工に登校したことは、私の両親も知らないことだった。 それから数日経っても、県工の学徒動員に行った同級生は帰ってこなかった。私は改めて同級生の両親を訪問して、学徒動員の毎日の模様を話し、私の当日の事を説明してきた。この訪問はつらい仕事であった。こうして生きていられるのは、樽佐君のお蔭、だがこ