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概要

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194 被爆翌日のその日は、大多数の生徒が集まらず、一週間後に集まるように言われて解散になりました。四日目に私は家に帰るため中心部に出ました。電車通りを紙屋町、十日市、横川へとたどりつきましたが、交通機関が三滝からでなければありませんでした。途中広島は、広々とした平地になってしまい、一望できる視界にビルの残骸だけが残り、瓦礫の山になっていました。電車の中には電車ごと人が丸焼けになり、道端には、炭のようになった死体が寄せてありました。そして軍人の人や救援の人達が、まるで枯木でも集めるように積み上げて火をつけていました。(当時中学四年 動員中、江波三菱造船所で被爆)八月のカラス雨中村 和彦 私の記憶では、昭和二十年七月初旬の朝七時四十分頃、B29による爆弾投下があり白神電停に二発、県立一中に六発着弾。警報は鳴っていなかったと思う。今思えば、これは原爆投下の予行演習だったのではないだろうか。 そして八月六日、午前八時十五分の原爆投下。それは閃光と灼熱、強力な破壊力。後に空中二屯爆弾と知らされた。軍都であった広島だからとて、日々刹那に生きている人々をも目標にした爆撃は許されるものではない。人々は一瞬のうちに被爆し、自身に何が起こったのか理解する暇もなく、逃げ惑うのに必死でした。火傷はひどく頬や腕から焼け爛れた皮膚が垂れ下がり、顔は腫れ上がり、男女の区別すら難しい人もいました。私自身はその日の朝、定刻に翠町の自宅を出て登校中、