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概要

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197 あの日、あの時と、みんな全身火傷を負い、全身どす黒く変色して、全裸同然の姿で見る影もなく、口々に助けを求め、苦痛を訴える級友の行列は、まさに地獄絵の様相を呈していた。何と悲惨なことと凄惨さのあまり、その時の現状は言葉に言い表すことができません。 私は幸いにも顔と左手の一部に火傷を負っただけでした。顔を見ただけでは判らない人が側にいて、誰だと尋ねたら「水谷」と名前を言ったので、初めて水谷君であるということが判るような状態であった。水谷君が自分の顔、身体が如何になっているかの質問に対し、私は彼が余りにも無残凄い姿なので答えることができなかった。 彼と共に先ずは比治山へ避難した。そこには火の手に追われて逃げのびてくる大勢の人々の異様な姿、髪の毛は逆立ち、焼け爛れた皮膚を引きずり全身どす黒く変色して、男女の区別もつかない全裸同然の姿に私は息を呑むばかりであった。しばらくして艦載機が襲撃にくるとの情報が入り、ここから避難することになって、途中彼と別々になった。 そこから府中町の親戚に行ったが気分が悪くなり、嘔吐を繰り返して体調がすぐれず、原爆ショックから食欲不振、不眠に悩まされた。その後、大野町にある知人宅に一家で身を寄せることになり広島を逃れた。ここでは私は所謂原爆症が発病し、頭の毛が抜け、歯ぐきからは出血、血便が出る等、治療の施しようもない状態が続き、今考えてみると現在自分がこうして生きていることが不思議である。日々一進一退を繰り返し約三か月の闘病生活が続いた。この地にも市内から続々と負傷者が運びこまれて、小学校に収容され、死者も後を絶たない状態であった。 十一月になり、学校も授業が再開されるということで登校したが、校舎は殆ど跡形もなく、私も級友に会えるこの日を待っていたが、残念ながら、数は定かではないが数人の出席しかなかった。この時私は先生、級友の原爆による犠牲者が百三十数名であると知り、深い悲しみにくれた。 戦後、人それぞれ、さまざまなことを背負い必死に生き抜いて、現在の平和な生活に到達したのである。