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200というのもあった。万代橋から元安川を見ると、川面を埋めた木切れやゴミの間に沢山の遺体が見え、収容作業が行われていたが、それは水膨れしたのか異様に大きく見えた。焼けたビルの中にも黒焦げの遺体が沢山あった。県病院では床一面に寝かされた人を跨ぐようにして捜したが、いずれも焼け爛れたり土と埃で一様に黒く、生死も判らず、例えその中に身内がいても、その人から声が掛からない限りとても判らないなと絶望的になってしまった。 終戦を迎え、無念の思いが募る一方で、正直なところほっとした気持ちになった。その夜、あかあかと電灯を付けたとき、平和の嬉しさが溢れる思いだった。しかし、何故もっと一生懸命に姉を捜さなかったのか、今となっては悔やんでも悔やみきれない。(当時中学二年 建物疎開動員中)浜さん、よう生きて帰った浜田 一 当時、私は南千田町の修道中学校の生徒で、校門の前の穐本さん宅に下宿していました。「門前の小僧習わぬ経を読む」の例ではないが、勉強に熱を入れるために、父が見つけてくれた思い出の下宿です。しかし、当時は戦争の激しい時で、目の前の学校には行けず、われわれ高学年は学徒動員令で、軍需工場の三菱造船所にかり出されて、勉強は工場の休憩室で勤労の暇を見て行われていました。 さて、いよいよ運命の八月六日の朝がやって来ました。何時もの如く六時起床、教科書と筆記用うを修道の校章の付いた黒風呂敷にしっかりと包み、戦時下とはいえ、学徒の本分を忘れずに、毎朝私の日課にしている校門前の御真影奉安殿と山田十竹先生に対し拝礼