ブックタイトルgakuto
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gakuto
8まらず、食事の時も、鼻に詰めものをしていました。母が心配して「今日は休んだら」と言うのに、「皆も同じだから行く」と言って出かけた後姿を、何か気になり、母と姉と門まで見送りました。弟を見たのはそれが最後でした。 身長も低い方で、わずか十二歳の体にどのような労働があったのか、語ることもせず、毎日でかけました。水筒に水を入れ、食糧難の時でわずかな弁当らしき物を持ち、夏の日も、長袖の服に防空頭巾の装備をして行きました。 朝の掃除を終えた時、異常な光と爆裂音に、家は揺らぎ、天井の一部は飛ばされ、土間に逃げるだけが精一杯でした。戸は壊れ、家の中の散乱した状態に呆然としました。当時、船越に軍需工場があり、向洋にも工場があり、空襲の危険は一杯でしたので、どの地点への空襲かわからず、動転していました。異常事態を知ったのは間もなくで、広島の空に見たこともないような雲があり、昼頃、初めての被災者が帰って来てからです。それは弟の友達で、誰か判らないほどで、顔は焼けて黒く、手の皮膚はむげて下がり、「おねえさん」と呼ぶ声に、「誰?」と呼ぶと、「房雄よ」と言いました。着物は形も無い様子で、「やっと帰ったよ」と泣きました。弟もそのように帰って来ると信じていました。ただ待つのみの長い時間でした。兄は陸軍に出征中で、家には母と姉と私の女だけ、母は待つのがたまらなくなって、広島の郊外の道あたりを捜しに出、私と姉は、皆の怪我の様子から、何時帰っても体の怪我の処置など出来るように、油紙の用意などしました。夜になるにつれて、広島の空の赤々と不気味な色を、庭に座ったままで見ていました。 七日、朝から母は広島への道を捜しましたが、道は全部封鎖されて、脇道からやっと入市しました。ほんの一部しか歩くことも出来ず帰りましたが、疲労が強く、その夜に寝込んでしまいました。翌日から、姉と私で入市。船越から広島までの道は、何時間もかかり、夏の暑さも空襲を避けるために、衣類も長袖の黒衣と口に言えぬ難儀さでした。比治山下から入市して、とにかく学校に行き、様子を聞くことにしまし