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概要

gakuto

218 閃光一瞬、大地は咆哮し、家は飛び、生物皆傷つきたおれ、私も自宅前でその直射を受け、無我のまま戸坂村の谷間に倒れ、助けられて、府中の友人宅に数十日間、生死の境をさまよいました。 父は、茂子を探し求めて現場を……「その時の事はとうてい口に出して言えぬ」……と父は申します。「同じような子供が、何千何万と死んでいるので見分けがつかぬ」と申しております。茂子は左乳の真裏の背に、大豆位のホクロがある。服は白の麻服に縞セルのモンペをはいている事をおしえました。しかし、衣類を着た子はほとんどおらず、わずかに皮バンドの下になる処の着衣の布地が残っているものもあるが、全然見分けがつかぬと。飲まず食わずで探し廻る父は疲れた姿で力なく帰って来ます。「今日こそは」と出て行く姿を私は見えぬ目ながら幾度拝んだ事でしょう。父はそれらしい子供を何人となく引きおこしてみたが、とうとう今日も見つからないと、生くさい手を私の顔に覆って報告してくれました。一週間目くらいに、天神町の辺の死亡掲示板に女学生前岡と出ていると親類の者が知らせてくれました。重症に喘ぎ、身動きもならぬ身は、両手を合掌させてもらい、わが子の後を追う日を待っておりました。左脚は切断せねば命は助からぬと申しておりました程ですのに……。茂子の魂がこの母を助けてくれたのです。日を追って快方に向かいました。子を助ける事の出来なかった愚かな母は、子の霊魂に救われたのです。 その年の十二月には、四本柱にようやく雨のもらぬだけの小屋を作り、なつかしい我が土地へ帰って参りました。茂子が産血を流し、そうして十三年育った地。まだ茂子の残り香の消えやらぬ地。……壁の無い家は雪が降り込んで、寒さと悲しさに、泣いて泣いて泣き明かす毎日でございました。 せめて最後の様子だけは知りたいと、茂子はどこでどのようにして死んだであろうかと、つてを求めては探しましたところ、幸いにして、荒神町須郷母上様が茂子を見とどけて下さった事を知り、直ぐお目にかかって様子を聴かせて頂きました。それは、三日目かの夕方、兵隊さんが誓願寺の土垣の下から掘り出した