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概要

gakuto

250て助けて家は天神町だから連れて帰って」と両手を合せて拝まれたことが今でも脳裡を離れない。 被災者は身体が焼けただれ、人の区別がつかず、吾子には下腹に黒ホクロがあったから、それを頼りに、探したが仲々見つからない。 自分の手を見ると人の皮膚が一パイついていたので破裂した水道の漏水で洗い、汗も流した。焼つく暑さであった。 夕方工兵隊裏で学徒が数人枕を並べて死んでいた。長寿園で「助けて助けて」と女の声あり、まるで地獄の有様。 大きな声で名前を呼ばないととても探し出せないが、もう声も出なかった。 四方は火と煙、子供は見つからず、空襲警報は頻に鳴る、自分もここで死んでしまいたい気がしたが、家には二人の子供を残しているので、又気を取り戻し歩き出した。 人間や古木の焼ける臭をかぎかぎ阿鼻叫喚の中を夢遊病者の如くふらふらしながら帰途についた。 大州橋まで来てバッタリ坐り込んだ。夜は更けるし、疲労は激しいが、これではいけないと勇気を出して吾家熊野にたどり着いたのは午前三時半。待ちわびた子供達が「お母ちゃん兄さんは」と私に縋りつき親子共々に泣いた。 翌朝も又市内に捜索に出かけたがとうとう帰らぬ人となった。後で聞けば祇園の河原土手で、学校の先生の手厚い弔いで親にも会えず荼毘に付せられたと。 戦争は憎い、原子爆弾が悔しいばかりである。 毎年毎年千羽鶴をお墓に捧げてしばし亡き子供と話し合うが子供からの返事が耳に聴こえないのが返す返すも残念である。 然し仏さまの教に従いやがては親子が冥途において再開する日のあることを信じ、その日の来るまでは徒らに歎き悲しむことなく日々を供養と自分の修養に努め人間道を全うしたい。