ブックタイトルgakuto
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260ました。多分八日に整理したという意味だったのでしょう。 作業をしておられた方が「あなたの息子さんですか、息子さんの体をさげたら、この財布が体の下にありました。」と「8」と書いた紙切れと一緒に遺品としてよけてあった財布を、手渡して下さいました。この財布は主人の弟が海軍の勤務の合間に作ってくれた絽刺しの財布だったのです。中には小銭と、邦男の写真と、今田と書かれたセルロイドの名札が入っておりました。洋服は焼けてほとんどなくなっていたのに、この無傷の財布が唯一の形見となり現在も大切にしております。 「こちらの爪は自分で切れないから、お母さん抓んで」と云って、私に切らせておりました。「学校の昼食時に、お豆さんが食べたい、肉じゃがが食べたいと思って帰ると作ってあるね。ぼくの思う事はみなお母さんに通じるのじゃ。お母さん、どうして分かるの? 不思議だねー。」と云っておりましたのに、頭、手足、体が素裸になって真黒に焼けて、意識がなくなる迄、「熱い!熱い!水を、水を」と叫んだであろうに、答えもなく、大事な時心も通わず、いざと云う時何一つして上げられず、何の役にもたたないで、あなたを死なしてしまいました。母さんはそれがたまらなかったのです。許してください。邦男ちゃんごめんね。 主人は、その亡骸が邦男だとわかると、その場に倒れてしまいました。火葬にして帰ろうと思い、燃え残りの木々を集めておりますと、そばで手伝って下さる人に、「私は、呉市十三丁目のお寺です。」と云って、念珠と袈裟を取り出して、その場で葬儀のお経をあげて下さいました。あのような大変な時に、葬儀をして頂くなんて幸せなことだと大変ありがたく、何とお礼を申し上げてよいか、言葉もございませんでした。本当にありがたいことでした。 息子が亡くなり大変な悲しみですが、五十年前、原爆投下直後の大混乱の時に、略式にでも葬儀をして頂き、お骨を持ち帰ることが出来ましたことは、大変幸せなことだったと思います。嬉しいこと、悲しいことの入り交じった波乱万丈の五十年でした。