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概要

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274埋もれて落ち入っていった仲間達がいることを思うと、悲しみは言葉に言い尽くすことが出来ません。このような辛い苦しみの長い運命の道を歩まねばならないと、誰が思ったことでしょう。当時、国策とは申せ若き少年少女達を「建物疎開」の号令の下に、各場所に集め、弁当や水筒もなく、手ぶらで集まった学徒達が、一発の爆弾によって、親・兄弟姉妹の許に、帰られない道を歩もうとは、神ならぬ身の知る由もありませんでした。 思えば思う程、あの時の悲惨さは筆舌に尽し難いものを感じます。私、自身も疎開作業に参加負傷し、戦後の厳しい社会で生きることの苦しみを、かくまで味わおうとは思いもしませんでした。 戦争も八月十五日をもって終わりました。それから再び生きることへの葛藤が始まろうとは……。人間は次から次ぎへと生きるための知恵がいい方に向くと思いきや、姑息な悪が走り、焼跡より、起ち上がるわれらを困らせたものです。傷害を受けた仲間であるものの、誰にも打ちとけることが出来ず、廃墟の中で一人ぼっちで生き残った学徒達も、努力してよく生きて来たものです。苦しい中に学窓を去り、自分自身でコツコツと頑張りようやく五十年を迎える頃になり、病と闘い厳しい生活をしている学徒仲間がいることを忘れる事はできません。 生きていく事の苦しみと共に、生きている喜びも味わいました。死んだ友に代わって長生きし、原爆を語り継ぐのがせめて、生かされている者の務めだと思っています。 天下泰平の平成の時代になり、誰が五十年前の少年少女達の心の傷を知り得ることが出来るでしょうか。死にもまさる苦しみに耐え生きながらえて頑張る、かつての学徒がいることを忘れないで下さい。 今は亡き友のお父さん、お母さん!幸せな日々を送られんことを、願っております。 ようやくにして我が家を建て、親子四人幸せな生活に感謝しつつ、過ぎし五十年を振り返り、この文をしたためました。昭和7年7月23日生中学校二年生の時被爆