ブックタイトルgakuto
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gakuto
15 被爆して、生きてジを取ると肉もいっしょに取れる気がして、自分では取れませんでした。朝、起きたときには顔じゅうが膿で固まって、目も口も開きません。無理に開けると血が出ます。婦人会の人たちには、家族の安否をいっしょに心配してくださったり、大変お世話になりました。 八月十五日。私は杖をついてなら何とか歩けるようになりました。そうすると、どうしても家族の皆に会いたくなりました。広島の家は無くなっていることは、分かっていましたので、父の故郷に行こう、と思いました。歩けるといっても、やっと立てるという状態でした。ですから、それこそ地べたに座ったり、所かまわず寝転んだりして休みながら、坂駅から呉線の汽車に乗り、呉で乗り換えて糸崎まで行き、また乗り換えて尾道で下車しました。そして、今度は船で因島へ渡り、やっと原町にある父の故郷に着きました。坂を出たのは朝でしたが、因島についたときは日は暮れていました。 その日の正午には、終戦の放送があって、私は糸崎駅で聞いたのですが、雑音が多くて、よく聞えませんでした。でも、やっと戦争が終わったんだということだけは、分かりました。 汽車の中では、私の姿に興味をもった目が注がれていました。なかには温かい言葉をかけてくれる人もいました。 やっと故郷についたとき、その夜は、私の通夜をしているところでした。私が玄関で挨拶をしますと、従兄弟が出てきました。ですが、杖をついて、包帯をぐるぐる巻いて、目と口と鼻だけしか出ていない私ですから、何者かわかりません。名前をいいましたら、「幽霊だ! おばけ!」 といって、びっくりして腰をぬかしました。それもその筈です。一字違いのことで、私は死んだことになっていたのです。遺体はあちこちで山にして、重油をかけて焼かれていたのですが、その遺骨の分骨したのを受け取っていたのです。後のことですが、遺骨はお寺に返したということです。 早速、その晩のうちに、私の体は、焼けただれた皮とか、ウジは全部取り除かれて、きれいになりまし