ブックタイトルgakuto
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283 残されて、生きる残されて、生きる野瀬 節子 昭和二年生まれの私は、幼い時から、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と、勝つために耐え忍ぶことを教育され、それを信じて来た。昭和十九年、広島第一県女五年の六月、学徒報国隊として、学業を離れ、呉市広町第十一海軍航空廠に動員された。広島駅から貨車に乗せられ、広町に着き寄宿舎に入る。六人部屋押入れ式二段ベッド、前の住人が男子工員であったため、ノミ、南京虫になやまされた。 海軍式の敬礼をし、軍人勅諭を毎朝唱し、『神風』と印刷された鉢巻きをしめ、軍歌を歌いながら出勤した。飛行機の一番大事な発動機の歯車を研磨して仕上げる。男の工員は次々と召集され、機械を一人で操作し、国のため勝つまではと、十七歳の少女たちは必死だった。私達の作った発動機で、飛行機は本当に飛べるのかしらと、心細い思いもあり、友達と話し合ったこともあった。一日、三交替の勤務で、冬の凍てつく夜、夜空を眺め、友と夢を語り、夜明けの空の美しさに心打たれ、道端の雑草の中の犬ふぐりの青い小さな花を愛でた。今も犬ふぐりの花を見つけると、あの頃の生活を思い出し、感無量になる。休憩時間に、軍歌ではなく、外国の歌曲を静かに歌ったことをなつかしく想う。悲しいまでに純心で清廉だった私たち女学生の心を、踏みにじったものは、何だったのであろう。 先生志望の私は、消燈後、布団をかぶり、懐中電灯で勉強した。広島女専に合格できたが、将校に「国破れて山河あり、国破れて学問ありや」と、進学するものは集められて、国賊とまで言われ叱られた。その頃、日本はもう負け戦だったが、私たちはわからなかった。女専の入学式が延期になり、そのまま工場に残り働いた。 五月五日、工場はB29約二五〇機の波状攻撃の大空襲に合う。トンネルに逃げた。爆風のため体は浮き、