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概要

gakuto

287 残されて、生きる生活できないので、可部町に疎開することになり、残った家具を、借りた大八車で父が引き、母と私が後押しで、夜出発した。牛田から白島に出て横川橋を渡ろうとした時、橋の側に死体を焼いた骨が山のようにつまれそこから燐がボロボロと青い光を放っているのを横目で見ながら黙って歩く。夜中に可部に着き、荷をおろして、朝までに大八車を返す約束なので、帰りは母と私は車にのり、父が引っぱってくれた。古市で夜が明け始め、休憩した。空を眺めていたら、十五夜のような大きな月の下にユラユラとオレンジ色の物体が広島の方から飛んで行った。火の玉だ!無言のまま見つめていた。 十四日、妹も一緒に可部に行く。義兄(姉の夫)が出勤途中左官町の電車で首にケガし、火傷をして帰り、床に伏していた。姉の手伝いをしていた時、義兄の首から急に血が吹き出し、姉は配給のタバコの葉で血止めをした。背中が黒ずんでいた。 十五日昼、ラジオのニュース。ガーガーと聞きとりにくい。義兄は涙をポロポロと流し、「今のは終戦を告げる天皇陛下の言葉です」と言った。「日本は負けたのね」と私。早くよくなりたいと言っていた義兄は目を閉じて黙ってしまった。その夜から、電燈から黒い布は取り外され、明るい夜になった。 十六日、姉と私は義兄にウチワで風を送っていた。義兄が急に鼻をピクピクさせた。私は姉を見た。義兄の呼吸が止まった。両親を呼びに走った。終戦になったのに死んでしまった義兄。毎日のように親類縁者の葬式ばかり私は甥姪をおんぶして焼き場によく行った。九月一日には兄嫁まで亡くなり、そんな明け暮れが秋までつづいた。ケガをした叔母は赤チンを顔にぬって、お化けのような姿で寝ていた。兄や姉の幼い子、四歳を頭に四人わが家にいた。親が亡くなったこともよくわからず、四人で仲良く葬式ごっこをして遊んでいた。ホーキ、ハタキをかついで、ムニャムニャとお坊さんの真似をして、並んで歩く。父母はこの幼い孫をかかえ、気も狂わんばかりだったと思う。 ケガをしなかった私は、寺に収容されたケガ人や孤児たちの食事の手伝いの奉仕に出た。寺の廊下に座布