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gakuto
288団を一枚づつ貰い、泣きもせず、黙って座っていた幼児。空缶にお粥を入れて廻った。ケガ人は傷口にウジが盛り上がってわき、箸で取っている。今思えば、この世のこととは思えないようなことの連続だった。 八月六日以来、神経も麻痺し、ああしてあげればよかった。こうもしたかったと、申し訳ない思いで一杯だ。兄はついに見つからず、骨のない葬式をし、両親はどんなにかくやしい思いだったことと思う。 原爆とは知らず、爆心地を歩いて帰り、二次放射能を浴び、この世の地獄を見た。負け戦なのに政治家にだまされ、死ななくてもよい人が殺され、くやしい。平和のための犠牲だなんて言ってほしくない。無駄死だ。愚かさの極みが原爆である。 死んだ多くの友達がどんな思いであったかを思う時、もう二度と戦争などない世になるよう、みんなで核廃絶、戦争反対を唱えよう。終戦五〇年を迎えようとしている今、記憶もおぼろになりかけた。 昭和二十三年、結婚して東京住まいになり、娘二人生まれ、無事に育ち結婚した。若い頃は原爆の事にはふれない生活をしてきた。広島との手紙の往復は、GHQのプレスコード(報道管制)のため、検閲された。原爆のことは一般の人には話してはならないことと自然に思わされる状況だった。貧血はつづき青い顔をしていたが、後遺症だとは思わず、がまんしていた。どんなことも、耐えることしかないと黙して、心はどこか醒めていた。 無差別に原爆のため死んで行った若い命を思う時、そして生き残った人は後遺症に苦しみ、人に話せない体の不安、五〇年もこれらのことを引きずって来た被爆者の心を、怒りを、ぶっつけたい。生き残りのこの命を、感謝してこの世と別れることができるよう、亡くなった人々の分まで大切に生きて行きたいと思うこの頃だ。旧姓 高田中央三丁目当時 挺身隊