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概要

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25 ピカ・ドンの道戻した。 無性に訳の判らない涙が止めどなく滲んでしかたがなかった。  あとがき「昭和二十年八月六日」は、日頃忘却にまぎれ込んでいるにも拘わらず、いつも一日も早く忘れようと思って来た。しかし、そういった確かな矛盾の中で、その都度そう思い考える程に、さまざまな事象が断片的により生々しく鮮明になり、その日時にタイムスリップするのであった。 被爆後すでに半世紀を超えて、周囲の記憶が定まらないようになってきている。 忌しい思い出しかない吉島寄宿舎は、今どんな変遷で在るのだろうか。無惨に倒壊した家屋の下から、必死になって舎友を救出した時、お互いが喜び合う余裕さえなかった、人間性を失っていた心。ガラス片も混じっていたが、真っ白いおにぎりを貰って頬ばった時の、胃の傷むような満足感の覚えが、四ヶ月余りの寄宿舎生活の最後であった。 しかし、私はそこを訪ねることへの拒否反応がいまだに残っている。 始められた授業は、無造作に山積みされた、校舎の残骸に囲まれた運動場の片隅に黒板が立ち、壊れかけた机と椅子が置かれた、暑い日射しを受けた露天教室であった。雨の日は潰れた屋根の中での授業でもあった。 学校編成があった以後も、被爆に関する事柄について、先生や学友の中でも、何故かほとんど話し合う機会はなかったように思う。この日のことを少しづつ書き留めていたが、徐々に薄れてゆく記憶は、今更ながら詳細が遠くなってしまった。 私は、五十回忌を迎える前日の早朝、「県工原爆遭難の碑」を前にして、まだ名前を覚えていない、あるいは名前も忘れ失せた、同期の多くの幼顔のままの姿が脳裡に散らばり、さまざまに事象が駆け巡って来て、しばしの間、立ち竦んでしまった。 過去の戦争の中でも、現象的な類似性は幾多あるに