ブックタイトルgakuto

ページ
49/326

このページは gakuto の電子ブックに掲載されている49ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

gakuto

35 被爆六十年の回顧 戦乱の悲劇は何時の時代も同じです。古代史に、特に私の胸を熱くする大津皇子の姉君、大伯皇女の深い想と愛惜の慈愛を詠んだものです。弟を想う姉君の哀しさがひしひしと伝わって私は慰められます。    石の上に生ふる馬酔木を手折れども        見すべき君がありといわなくに    我が春子を大和に遣るとさ夜深けて        あかときに我立ち濡れし岩田瑠璃子一年五組 故 大山良太郎の姉被爆六十年の回顧田宮  潔 一九三七年(昭和十二年)七月に起った日中戦争が解決をみないまま、一九四一年(昭和十六年)十二月、新たに太平洋戦争突入するに及んで戦火は益々拡大し若者は次々に戦場へと送りこまれていった。 翌、昭和十七年四月には早くも米軍の爆撃機B25によって東京はじめ主要都市が空襲を受け焦土と化した。生産労働者の不足を補うため、一九四四年(昭和十九年)には国家総動員法が施行され、私達中学生や未婚の女性も工場などに動員されることになった。 当時わが家は五人暮らしで父・母に二十二才と十九才の姉、そして十六才の私は爆心地から一・五キロにある広島市富士見町で生活をしていた。やがて父は病に倒れ、日たたずしてその年の暮にこの世を去った。