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41 弟を思うとはかけはなれた自由、幸福感がありました。古い土蔵を壊していてナメクジの集団に悲鳴をあげたり、まだ使える中古の地下足袋の束が出て、歓声をあげて配分した思い出もあります。 当時の私達は初心なもので、疎開で取り壊しの建物と道一本隔てて、白木造りの打ち水をした玄関を持つ板塀に囲れた建物の何であるかも知らず、時折、佩剣の音をさせて出入りする軍人の姿をみかけていましたが、後年その場所が広島の西遊郭の一劃と知りました。そう言えば、私達が取り壊した建物の土間に、所どころ色タイルが張られていた場所があった事も憶い出します。小学校を出たばかりの年齢の子供が、かかる場所の作業にかり出されるのを、当時の引率の先生はどんな気持ちで見ていられたかを思ったりします。 ともあれ、一日の作業が終わって現地解散したあとが、私達には自由と幸福感であふれる時間でした。私は今も田中君と白滝君の三人で、始めて平野町のお宅に立ち寄って帰った三十四年前の夏の日の広島市の町並の光景を鮮やかに思い起こせます。途中S中学の横の小路を通り抜けた時は、自分達の学校の事は棚にあげて、此処はボロ中学だなんぞ小声で悪口を言いましたが、中学の板塀の中の柳の枝が外側のドブの水面近くまで垂れ下がっていた事。当時の広島市の道路の中では一番幅が広かったのではないかと思いますが、平野町と南竹屋町を隔てる道路の両側の街路樹の葉が暑さでしおれていた事。鶴見町の狭い道路に面した商店の飾窓に殆んど商品がみあたらず、時計屋の古い置時計なぞ覗いて帰った事などです。途中、此の度お宅に葉書きを出す手がかりのひとつでしたが、田中君は自分の兄が同じ学校の上級生である事を非常に自慢そうに話しました。何しろ当時は道で上級生に出合うと挙手の礼をとる事を強要されており、上級生は神様の時代でしたから。 子供でも成人でも所謂ウマが合う合わないという事は同じ様で、此の日を境に田中君とは急速に意気投合の度合いを増して、七月も半ばでしたでしょうか、今度は一人で遊びに来ないかとの誘いを受けました。始めて案内されたのはお宅の事務所でしたか、応接室で