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概要

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52徒たちを防火水槽に入れ、自らはその上に覆いかぶさって亡くなられた先生もいらっしゃったとか…… あの日の惨状は、語っても語っても語り尽くせませんね。 八月六日 午前八時十五分 一発の原子爆弾が広島に街を屍の街に変えてしまったのですから…… あの日、私はあなたより九歳年下の四歳でした。遅い朝食を摂っていたわたしは潰れた屋根の下敷きになりました。母は爆風で四十メートルも先の畑に飛ばされました。 「子どもが、家の下に……助けて!!」母の叫びに近所の方々が力を合わせて私を助け出してくださいました。親子とも下敷きになっていたら、命はなかったと思います。 瓦礫に埋もれたまま大勢の方が、亡くなられたそうです。 私の一家は、裏のかぼちゃ畑で一夜を明かしました。 午後から降り出した黒い雨に打たれ、わたしはひどい下痢をしました。「始末する紙もないので、南京の葉っぱでお尻を拭いたんよ。」と、後に母が話してくれました。 私の足には、そのとき刺さった釘の痕が今でも残っています。 一夜明けた街は、……四歳だった私の記憶は定かではありません。 ただ、家の前の福島川をお腹がパンパンになった馬や牛が流れていたのを鮮明に覚えています。 ご近所の方が「ひたいはありませんか? ひたいはありませんか?」と呼ばわって歩いていらっしゃいました。それが、「死体はありませんか?」という声だったと解ったのは、わたしがだいぶ大きくなってからでした。 私の夫(当時七歳)も、亡き父の遺体を自分で荼毘に付し、お骨を拾い竹原の菩提寺へ持参し葬ったそうです。なんと健気な!今ではとても考えられないことです。