ブックタイトルgakuto
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gakuto
60に首の中へ降り込んで、白いシャツがよく汚れたものであった。 これまで広島は、不思議と空襲での攻撃は殆ど無く、数カ月前に国泰寺の空き地に爆弾が一個落とされて八メートルばかりの穴が掘られて、雨水が濁って溜まっているのを友達と見に行った、草むらの空き地でよかったと話しあった。呉市は度々とB29やグラマン機による爆撃に遭い大きな被害をこうむっていた。 今までに、我が家で被爆した話は、両親、妻、子供等に対して一度もしたことが無い。被爆者は癌になる率が高いとかマスコミでも言われているし、家族にいらぬ心配はさせたくないので、自分から詳しく話をした事はない、今後もするつもりも無いが、思い出したくない心境である。 八月六日の朝、目覚めて起きてみると母の姿は無く、広島へ勤労奉仕に出発した後であった。前の晩にあれほど行くことを反対して言ったのにと思い少し腹が立ったが仕方がなかった。私の弁当は食卓の上に作っておいてあった。通学の汽車は呉線の坂駅を六時五十五分に乗り広島に三十二分程かけて行き、広島駅から学校まで徒歩で約二十五分要していた。母等はその前の汽車で出発していた事と察した。友達と一緒に広島駅から学校に向かって歩いていると鶴見橋の東詰めで電車通りの建物横に空き地があり、家の近所の人達がたくさん座っておられた、その中に母の姿を発見した。ちょうど目が合ったので、町内会のおばさん達にも軽く会釈してそこの前を通り過ぎた。母の後日談であるが「朝笑って通って行ったのが、親と子のこの世での見納めであったのか」と思ったそうである。 市街地の建物疎開をするために近くの各町村から勤労奉仕に人が多く集められていた。学校に着くと教室の自分の机に弁当箱を入れ、上服は椅子に掛けて運動場に出た。机の中には最近購入した上等な品のソロバンが桐の箱入りで置いてあった。 集合のあいずの鐘が鳴ったので、各自作業道具のスコップ、ロープ、木槌、鋸等が朝礼台の横に置いてあり、私はスコップの数が多くて使い安いので一個持って集合した。午前八時が作業開始なので各組は二列縦