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概要

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66戦闘帽をかぶりその姿が非常に頼もしく見えた。私から呼ばないと父からは息子であっても、誰であるのか目だけ出して包帯を巻いているので、わからなかったと後から聞かされた。先ず最初に父に「水が飲みたい」と頼み「よし飲め」と言われたので、辺りを見ると民家の横に水道の蛇口があるのが見つかり、蛇口を捻ってひとしきり水を出してから口を濯いでからガブガブと水を飲んだ、暑かった為か水が冷たく感じられて父に逢えた嬉しさと安心感で腹も減っているし実に水が美味しく思えた。 父は家から自転車で私と母を広島まで探しに来てくれていたとわかった。勿論国鉄の汽車もバスも交通はストップして動いておらず、親の有り難さが身にしみた。父と出会うのが一分でも三十秒でも違っていれば互いにどうなっていたかと思えば、仏様や神様のお陰であったのであろうか、偶然の出来事であったとは思えるが余りにも不思議で有り難く感謝の念でいっぱいであった。 比治山を越えて長く歩いていたので、顔や手に巻いた包帯と胸や肩に巻いてもらっているゲートルが緩んでいたので、父に締め直してもらい二人で東大橋を連れ立って渡った。父の自転車は橋の東詰に置いてあり一般人は橋から市内に向かっては危険だから這入ってはいけないと進入を止められていたので、そこの場所に自転車を置いてあった。着ている服装が役にたち、橋を渡って市内に向かったのであると聞かされた。 橋の国道側に陸軍のトラックがエンジンをかけて停まっていた、兵隊三人が担当しておられて、負傷者を海田迄ピストン輸送するから「海田方面に帰る者は乗れ」と言われ助かったと思い、私も父に乗るのを手伝って貰い荷台の中央に腰をおろした、既に七人程座っていて、間もなく満員にならなくても発車した。父には海田で待っていると伝えて別れた。空から太陽が傷に照りつけ痛みを感じだしたが、これは生きている証拠だということと、負けてたまるかと思っていると、兵隊が親指大のカンパンを一握りづつ皆んなに配ってくれた。一個を口に入れはしたが暑さで口はカラカラでなかなか喉を通らない。大洲町、船越町、海