ブックタイトルgakuto
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gakuto
70こから広島駅間を電車に乗って通学していた。広島の町は原子爆弾が落ちてから、七十五年間は草木が生えないとよく言われていたが、二月中旬頃の天気のよい日の帰り道で、羽田別荘の焼け跡には未だ誰も住んでおらず、庭に植えてある芝生も冬枯れして緑色が白っぽくなっている中に、タンポポが黄色の花を美しく咲かせて奇麗に開いているのが目についた。とても嬉しかったので一瞬駆け寄って花の前に座り込んで眺めた。花に対し有り難うと言ってお礼がいいたいような気持ちであった。後でその種をポケットに入れて持ち帰り家の庭へ植え、いまだに咲き続けている。 言うなれば、太陽の当たらない日陰に居た者は、火傷をしていないのでケロイドも無くて済み、怪我も軽く人には気付かれないので、人生において負傷者が苦労した学校生活、進学、就職、恋愛、結婚、子供誕生、就業勤務等での心配も苦労もケロイドの有る者よりも少なく、深く悩むこともしないで過ごせたと思えば誠に無念で大変悔しい。勿論ガスは吸うているので、内心は同様であるが他人には判り難いので、あまり差別はされなくて過ごせたのである。被爆者であるとわかれば損は有っても得は無い世の中であった。僻んで差別を受けたとは思いたくない心境であるが人の心中は解らないものである。ならば、何故に原爆を落とした敵の飛行機が広島の上空に来たとき、空襲警報を発令しなかったのか? せめて警戒警報なりと発令しておればグランドで暑いのに整列しておる馬鹿はおらないはずである。空襲警報が出ておれば仕事をしている者はおらないはずで、この責任は重大である。警報さえ発令されておれば樹陰等に非難しているか退避していたので、死傷者は三分の一以下で被害は少なくて済んだのである。その発令する当日の責任者は誰であったのか知りたい。敵のスパイであったとは考えられないし憎く、恨めしく、悔しさが一杯である。最近になってわかった事であるが、当日の朝七時九分に警報が発令され、七時三十一分に解除になったと知った。自分は汽車通学でその時刻には汽車に乗っておる時間であったから、知らされないし気付く事もできなかった。既に解除になっていたので判らないでいたの