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78昭和二十年八月六日新開ウメ子 昭和二十年八月六日、澄み切った青い空。真夏の太陽が、さんさんと降り注いでいる。 朝礼の前のひととき、私は裏門に近い校庭の木陰に腰をおろして、もの思いにふけっていた。今朝別れた母や弟のこと、故郷のこと、故郷にいる妹達のこと等。私の家族は、父母、姉、兄、私、妹が二人、弟の八人家族。父は出征。 幸いにして内地勤務で、運輸部の中にある一部隊に所属していた。兄は市立中学の四年だが、三年生になった時、志願して予科練へ。 母は、この三月はじめのグラマンF6Fによる空襲に危険を感じ、幼い妹二人と弟を連れて、故郷(本籍地の蒲刈島)の田舎へ疎開していた。宇品には姉と私の二人だけ。姉は被服支廠に勤めていた。故郷の田舎には、祖父母の残した田畑、みかん園と家があった。 家族が宇品に居住したのは、昭和十四年の春だった。それからずっと、少しばかりの野菜畑とみかん園を残して、あとは全部小作に出していた。母が時々帰って家を管理しながら、季節の野菜や果物を作っていたので、私達も毎年春休みや夏休みになると田舎に帰った。野に山に海にと自然に親しみ、故郷の味や香りを充分に満喫したものだった。 今年も、もうとっくに夏休みに入っている。しかし、時局は緊迫していた。夏休みも勤労奉仕、田舎へ帰るどころではない。今日も建物疎開の後片付けに行く。姉も隣組の勤労奉仕で、もう雑魚場町の方へ作業に行っているだろう。昨日母が、弟を背負い、田舎で採れた果物や野菜をたくさん持って逢いに来てくれた。姉も私も大喜びだった。つもる話もある。弟もしばらく見ぬ間に、大きくなってちょうど一年四ケ月、少し発育はおくれている様だが元気だった。「正ちゃん、立った立った、あんよが上手」というと、白い歯