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概要

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81 昭和二十年八月六日なのか? 地獄を見ているようだ。看護婦さんだけが、あわただしく動き廻っている。 私はそばにあった水道で、やけただれた両手、顔を洗い、がぶがぶと水をのんだ。看護婦さんに「水をのんではいけない。死にますよ」と何度も注意されたが、今は死などなんともなかった。背中、両手足、額の方にも、べたべたと白い薬をつけてもらい、宇品の自宅に帰った。近所の人々は私の姿に驚きながらも、よく帰って来たと喜んでくれた。爆風で家の中はめちゃめちゃ。入れないので隣の家で休ませてもらう。夜はB29の爆音になやまされながら、防空ごうの中ですごす。炊き出しのおにぎりも全然のどを通らない。勤労奉仕で雑魚場に行かれた近所の人はみんな帰って来られたのに、姉だけ帰らなかった。母は安芸郡の小用で船が給油のため停泊中、無気味な光りとものすごい音を聞いたという。当時船には全部幕が張ってあり、客室から外の景色は見られなかった。 乗客は状況のわからぬまゝあれこれ想像して、専売局の近くにあるガスタンクがやられたのだろうなどと話し合ったそうだ。母はそのまゝ田舎へ帰ったが、次々に入るニュースで広島がやられたことを知り、ちょうど深夜出港する貨物船に便乗して、夜明け近くやって来た。泣きすがる母。「お姉ちゃんが帰って来ないの。」これが私のせい一ぱいの言葉。あとは何も云えなかった。母は弟を背負って、一日中姉を探し歩いたが、むなしく帰って来た。勤労奉仕に出られた近所の人が次々になくなられた。死体を焼く匂いが終日鼻をつく。八日の日も母は姉を探しに出かけたが無駄だった。九日の朝、私の体を心配して一先づ田舎へ帰ることにした。なつかしい故郷に帰る。家についてうつ伏せに寝たまゝ、私は意識なく眠りつづける。母の必死の看護が続く。医師は死の宣告をしたという。 一週間もこんすい状態が続く。その頃弟のおできが、またゝくまに顔全体に広がり目を明けなくなった。両手で顔をかきむしりながら泣く弟。母は私の看護のあい間を見ては、弟を背負い山道を越えて、隣村の眼科に通った。一週間位洗眼すれば大丈夫よくなる